ちょこっと前の柔友会

月日の流れるのはあっという間ですね。 以前の巻柔友会を見てみましょう!

平成10年度(1998年)

〇小柳が指導を始めた頃です。

 初めて夏期合宿を実施。巻工業高校道場での練習後に巻町五ケ浜で海水浴とすいか割りをしました。(よく覚えていませんが…。)

 すいかの下に肥料袋を敷いて、流木を杖代わりにしているのがミソです。

 仁箇の八珍亭で夕食を食べ、城山運動公園管理棟に宿泊し、翌日、巻東中学校へ練習しに行っただけです。 夜、城山の駐車場で花火をしましたが、暗闇にいたアベックらしい車が、急に花火が始まったことに驚いたようで、猛スピードで逃げていきました。

 ほとんど金が掛かっていない合宿でしたが、当時の子供たちはそれなりに喜んでいました。

〇前後して長岡まつり県下大会に参加しましたが、長岡市柔道教室と対戦し、ぼろ負けして悔しかったことを覚えています。

 

平成12年度(2000年)

 20数年前、まだ少年チームの活動が本格化せず、青年部が青年大会に頑張って参加していた青年部メインの頃です。

 県少年団への加盟前で巻柔友会としてデビュー以前の段階です。ゼッケンも「巻町」と記されており、時代を感じさせます。

 記録を見ると小学生の所属が5名しかおらず、活動もまだまだ

これからの状態でした。

 写真は巻高での巻近郷大会時のものです。

 

平成16年度(2004年)

〇当時、練習時間は週2で各1時間15分程度と少なかったのですが、そこそこ強い頃でした。

 大平祐樹君が秋のBSNで入賞し、初めて柔友会から強化選手を出しています。

(大会は中越地震の直後で中越地区の選手が大量欠場し、どさくさ紛れで勝った感もあります。)

〇昭和58年から巻工業高校柔道場を会場として使用をしていましたが、施設改修と合わせて秋から巻西中学校に変更しています。

    なお、巻工業の道場は広くて施錠管理も楽で良かったのですが、冬異常に寒くて夏異常に暑く、トイレがないのが難点でした。

平成17年度(2005年)

〇運動能力の高いメンバーが揃いました。

 卒業後、巻西中から各高校の主力となり、県上位で活躍

 してくれました。

〇人数的にも纏まり、ライバル心があり、大きく向上して

 いた頃です。

〇この年10月、西蒲原郡巻町は新潟市と合併をしました。

平成18年度(2006年)

〇明確に平成18年とわかる写真がこれくらいしかありま

 せん。(相応しい画像が見つかれば差し替えます)

〇画像は、入徳館野外研修所での夏期合宿時のBQのもの

 です。この頃は遠くへは行かず、近場で簡単に済ませて

 いました。

〇前年の強力6年生が卒業し、戦力的にガタ落ちしていた

 頃です。

平成19年度(2007年)

〇2巡目新潟国体を2年後に控えた県柔連主催の古賀先生

 イベント時の写真です。

〇小学生が2名のほか巻西中生が7名参加しており、この

 頃の力の入れ具合がよくわかる写真です。

〇巻西中も工藤先生赴任前で専門顧問教員がおらず、当時

 の巻高の関澤先生と様々画策して、中学生強化に注力し

 ていた頃です。

〇そのため小学生の成績は推して知るべしの状態でした。

平成20年度(2008年)

〇この年度の写真があるはずと思っていましたが、やっと

 見つけました。

〇六送会で、13区のふれあい会館に集まって遊んでいると

 ころです。

〇この顔ぶれを見て、良くも悪くも当時のいろんなことを

 思い出しました。彼らはそれぞれ、いろんな人生を送っ

 ています。

平成21年度(2009年)

〇メンバー的に揃い始め、意欲的な子が揃っていました。

〇競技力的にはまだまだの段階でしたが、左写真のように小山健太君が秋のBSN大会で準優勝するなど、成果が出てきました。

 写真右は巻高校での巻近郷大会時のものです。

平成22年度(2010年)

〇体格が大型化、意欲的な選手も多く、勝てる条件が揃いつつありました。

〇写真左は、地元での合宿(角田山登山)、右は日整大会県予選会のものです。

平成23年度(2011年)

〇メンバー的に揃い、BSN大会での上位進出も期待された年でしたが、東日本大震災の余波で春のBSN大会は中止となりました。

 当時の5~6年生は巻西中学校・高校で柔道を継続精進し、各校の基幹選手に育ちました。

〇写真は、左:吉田近郷ジュニア親善大会、右:吉田柔道クラブとの合同練習時のものです。

平成24年度(2012年)

〇主力選手の蓮君がケガに悩み、期待されたような結果が中々出ませんでした。

 巻西中学校と連携し、強化を図っていました。

〇写真左は通常練習時のもの、写真右は夏期合宿で笹ヶ峰に行った時のものです。

平成25年度(2013年)

〇全体に小振りの選手が多く、団体戦で苦しんだ頃でした。

〇団体では勝てなかったので個人戦での勝利に走り、左写真は県スポ少総合大会での個人戦入賞者のもの、右写真は唯一の勝らしい勝ちであった新潟市県下大会での6年団体3位入賞のものです。 下の写真は筒井直也君がスポ少大会時、背負投で顔から潰れて鼻血止めにテーピングテープで顔をぐるぐる巻きにされたものです。

平成26年(2014年)

〇入会者が入らず所属会員数が減少し、将来的な会の存続も怪しくなっていたのがこの頃です。 人数が減ると団体戦関係の試合は参加できず、対外的な交流も減ることからモチベーションも落ちてきます。

〇写真左は全体写真、右は黒埼柔連との角田山登山のものです。

平成27年度(2015年)

〇人数が減って思うような練習ができませんでした。 時々、黒埼柔連の練習に寄せて頂いて稽古の補完をしていました。

〇写真左は二人ほど欠けていますが全体写真、右は黒埼柔連での合同練習会のものです。

 入会者がないことで、倒産の危機を憂いていたのがこの頃です。